大阪の選挙区支部長など19名に直撃インタビュー!!
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選挙区:1区(大阪市中央区、大阪市西区、大阪市港区、大阪市天王寺区、大阪市浪速区、大阪市東成区)

Q1

政治家を志したきっかけは?

議員だった父親に影響を受けたこと、またそれ以上に父を応援してくださっていた地域の皆さんに恩返しがしたいという思いがあり、政界に入りました。地域をよくしたい、元気にしたいという思いは、一番強く訴えたいことですし、今も昔も変わっていません。また、もうひとつ大切にしているのは、いつも「市民目線で活動を行なう」ということです。やろうとしていることが、市民の目線に立つとどう映るのか?を意識しながら、考えて悩み、また考えて、答えを導き出すことが必要だと感じております。

Q2

政治活動の中で印象深いエピソードは?

私が市議の時代の大阪市政は、少し歪んでいた印象がありました。あるとき、職員さんが働いていないのに働いているように偽っていたということがありまして。そういう方々に「働いてないんじゃないの?」と指摘したことがあります。おかしいと思ったことは、誰かがきちんと指摘するのは当たり前のことなんですが、そう指摘したことによって一生懸命働いている他の職員たちから賛同をいただいたのは、嬉しかった思い出のひとつですね。これからも国民の皆さんが求めていることを当たり前にできる政治を行なっていきたいです。

Q3

維新の会の存在意義について。

今、国民の皆さんが最もウンザリしているのは「政治とお金」問題でしょう。皆さんがどんな思いで納税しているのかを想像すれば、この問題がいかに劣悪かということは明白です。維新の会は、無責任な態度ではなく、どんな問題にもきちんと向き合っていく政党であり続けたいと思っています。それこそが政界における維新の会の役割なんですね。慣れあいのような政治になっているところにピリっとした改革-自分たちに都合のいい政治ではなく、国民の皆さんが納得できるような政治をこれからも真摯に行なっていきたいと思います。

Profile

氏名井上 英孝
生年1971年
出身地大阪府大阪市港区
最終学歴近畿大学商経学部 卒業
議員後の職歴2003年 大阪市会議員初当選~3期
2012年 衆議院総選挙初当選 連続4期
2022年 日本維新の会 選対本部長代行

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選挙区:2区(大阪市生野区、大阪市阿倍野区、大阪市東住吉区、大阪市平野区)

Q1

政治活動の中で印象深いエピソードは?

大阪城公園やグランフロント大阪の運営・マネジメントを、民間企業で行なってもらう必要性があることを市長たちに提案し、それがどんどん広がって、大阪の成長に繋がっていることは、私の成功体験のひとつですね。あとは、委員会のオンライン化です。基本的に出席という概念が“現地に集まる“という憲法解釈がある為、総務省の許可が下りなかったんですが、私自身が提案・交渉したことで大阪市会で初めてのオンライン委員会が実現し、全国の自治会に広がっていきました。どちらもかなり気合を入れて頑張ったことなので、実現したときはとても嬉しかったです。

Q2

今の日本の抱える課題とは?

財政面での課題に最も注目しています。対抗する策として、一定の経済誘発策ではなくて、財政規律からしっかりと適正化していかなければならないと思っています。また、社会保障制度も、長期ビジョンがないために現役世代の負担が増えてきています。そこへ今、大鉈を振るわなければならない時期がきていると思われます。あとは、市町村の合理化ですね。今、地方自治体は1100程あって、それら小規模自治体も放置していいものではない。私は地方自治が専門でしたので、経験を活かしながら改革に努めていきたいと思っています。

Q3

維新の会の存在意義について。

今、社会が抱えている問題を直視してストレートに解決法を提案していくことに、維新の会の存在意義があると思っています。例えば将来世代への投資ですね。自民党は、高齢者や今を生きている有権者たちへ税の分配を多くしようとしていますが、そうではなく、将来の日本の発展の為に政治力を発揮することが正しい姿です。今の政治では、票や献金を得る為に近視眼的な投資がされていることを感じています。そういうところから距離をおいて、あるべき税の使い方を実現していきたい。維新の会ではそれを実行してみせます。

Profile

氏名守島 正
生年1981年
出身地大阪府大阪市
最終学歴大阪市立大学大学院 創造都市研究科 修了
議員後の職歴2021年 衆議院総選挙 初当選

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選挙区:3区(大阪市大正区、大阪市住之江区、大阪市住吉区、大阪市西成区)

Q1

政治家を志したきっかけは?

父が長年大阪府議を務めていましたのでその影響は大きかったと思います。それだけでなく、この国の大きな課題として超高齢社会をどう乗り越えるかということが重大になると考えて高齢者施設の現場で働き、社会福祉士を養成する専門学校で教員もしておりました。高齢者福祉を専門とする政治家になってこの社会課題を解決しようと思ったのが一番のきっかけです。

Q2

今の日本、大阪が抱える課題とは?

日本は今、課題だらけです。少子化、人口減少、莫大な借金等。何よりも経済が成長していない。賃金は上がらないのに社会保険料と税金だけが上がっていく。どう考えても課題だらけなんですね。そんな中でまず一番にやるべきことは、政治の在り方を変えることだと私は思います。今の政治は、一部の既得権をもった業界団体の為の政治という印象が強い。そうではなく、国民の為の政治に変えていかなければならない。そうなるとかなり大胆な見直しも検討しなければならないところへ来ているように思います。

Q3

維新の会の存在意義とは?

日本の政治を変えることができる、唯一無二の政党であるということでしょうか。維新の会が自民党とは異なる最大のポイントは、しがらみのない政治ができること。企業や業界団体からお金や票をもらっているような政党とは、断じて違うということ。これをしっかりと国民の皆さまにお伝えしていかなければならないと思っています。私の好きな言葉は「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」。これは江戸時代の米沢藩主・上杉鷹山の言葉なんですが、維新の会の在り方の象徴としていつも胸に刻んでいます。

Profile

氏名東 とおる
生年1966年
出身地大阪府大阪市住之江区
最終学歴東洋大学大学院修了
議員後の職歴2003年 大阪府議会議員 初当選
(以後3期連続)
2013年 参議院議員 初当選
2019年 参議院議員 二期目当選
(大阪府選挙区)

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選挙区:4区(大阪市北区、大阪市都島区、大阪市福島区、大阪市城東区)

Q1

政治家を志したきっかけは?

30歳の頃。バブルが崩壊して、日本の景気はどん底に陥りました。当時の私は会社員でしたが、大企業がどんどん倒産し、給料は減り、雇ってもらっているだけでありがたい程…という世の中を目の当たりにしました。これは良くない、何とかしなければ、と思ったのが、政治家を目指すことにしたきっかけです。当時の政治は、正直、悪いニュースしか耳にしなかったです。それを変えたいと思うなら自分が直接携わるしかない、人任せにしてはならない、そう思いましたね。

Q2

政治活動の中で印象深いエピソードは?

令和6年5月、「共同親権」の導入が正式に決まったことです。以前はご夫婦が離婚されたら、お子さんの親権は父親か母親のどちらか片方が持つというのが通例でした。ですが、欧米では、離婚後も子育ては夫婦共同で行なうことが主流です。私は何とかこの「共同親権」を我が国でも取り入れたいという強い思いがあり、何度も何度も委員会で質問したり、国内外の識者と意見交換するなど、積極的にアプローチしてまいりました。何十年もメインで関わっていた課題であっただけに、可決されたときの喜びは計り知れないものがありました。

Q3

今後の意気込みを。

維新の会では、議員自らの給料を下げる、権限を減らすということで、劇的なコストダウンを実現させました。これは、発表したことを本気で実行した成果だと思っています。発表したら実行。当たり前のことなんですけどね。政治家の原点は、皆さんに信頼されること。信頼されなければ、どんな良い政策をたてても国民の皆さんはついてきてくれないでしょう。教育の完全無償化や少子化対策など、課題はまだまだ山積みです。私たちはこれら一つ一つに向き合って、これからも全力で取り組んでまいります。

Profile

氏名ミノベ テルオ
生年1961年
出身地大阪府大阪市北区
最終学歴神戸学院大学法学部卒
議員後の職歴2020年4月衆議院近畿比例繰上げ当選
拉致対策特別委員会理事
安全保障委員会委員
法務委員会委員

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選挙区:5区(大阪市此花区、大阪市西淀川区、大阪市淀川区、大阪市東淀川区)

Q1

政治家を志したきっかけは?

きっかけをくださったのは、山本たかし参議院議員です。山本さんは、親を亡くしたお子さんを支援する「あしなが育英会」、そして「がん対策基本法」を主導された方なんです。ですがそれらの政治活動の最中に、ご自身が末期がんだということが判明しました。当時、私は医師をしており、政界に入る気など全くなかったのですが、山本さんがご闘病中、ご自分が取り組んでおられた課題を受け継いでくれる候補者を探していると私にお声がけくださり、一念発起して立候補させていただきました。

Q2

政治活動の中で印象深いエピソードは?

2009年に「臓器移植法の改正」が可決されたことです。これによって15歳未満のお子さんからの国内での臓器提供が認められるようになったのですが、実はこの法改正を行なう中、国会では非常に珍しく「党議拘束」が外されていたんです。わかりやすく言えば、同じ維新の会でも賛成・反対が分かれるということ。私は約200人の議員の部屋へ資料を持ってまわり、お一人おひとりを説得することに尽力いたしました。可決を示す投票数が電光掲示板に出たときの、あの喜びと安堵は今も忘れることができません。

Q3

維新の会の役割について。

政治家の方は、「子どもの数を増やせ」とよく言われます。ですがこれは今すぐ叶うものではなく、算数でいうと3世代は先の話になります。つまりここ何十年かは支える世代が少ない状況が続くということですね。私たち政治家の役割は、その現状を正直に国民の皆さんに伝え、社会保障制度のほうを現状に合わせたものに変えていくことではないでしょうか。政治は、つきつめていけば、皆さまの命を守ること。守られているという安心感を、絶え間なく国民の皆さまに与えて続ける。維新の会は、そんな政党でありたいと思っています。

Profile

氏名梅村 さとし
生年1975年
出身地大阪府堺市
最終学歴大阪大学医学部卒業
議員後の職歴2007年 参議院議員 初当選

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選挙区:6区(大阪市旭区、大阪市鶴見区、守口市、門真市)

Q1

政治家を志したきっかけは?

私は2歳のとき父親を亡くし、どん底の貧困母子家庭で育ちました。あるとき、母が田中角栄さんのことを「この人は弱者の気持ちがわかる政治家だ」と言ったんですね。理由を問うと、当時の遺族年金は非常に少額だったのを、田中さんが大幅に増額する提案をくださったとのこと。光の当たらないところに光を当てる、まさしくこれが政治だと感じました。それが最初のきっかけになり、第82代内閣総理大臣・橋本龍太郎さんとの出会いを通して、政界に入る決意をさせていただきました。

Q2

これからの政治活動で成し遂げていきたいことは?

まずは憲法を改正していきたいですね。紛争・戦争が絶えない今の国際情勢の中で、このままの憲法で国民を守れるのか?というのは、常に感じておりました。自公の連立政権では未来永劫、憲法を改正できるとは思えません。果たしてこのままの政権を存続させることを国民の皆さんが望まれるのかどうか? ここの是非を改めて問いたいと思っています。例えば拉致問題の全面解決についても、現在の憲法が障がいとなっています。野党の1議員でもできることはたくさんあると思っているので、積極的に取り組んでまいりたいです。

Q3

維新の会の存在意義とは?

今の維新の会は「逆風」の状態でして、厳しいご意見もたくさん頂戴します。そして100点満点の政治が出来ていないことは認識しています。驕りもあったと思います。そこは真摯に受け止め謙虚にならなくてはならない。ただね、もし維新の会が国会に指摘していなければ、いまだに国会議員の特権に関わる文通費や政策活動費の問題は、ブラックボックスに入っている状態だったんじゃないかな、というのも感じます。それにメスを入れる役割というのが、維新の会としての存在意義。それに尽きるのではないでしょうか。

Profile

氏名西田 薫
生年1967年
出身地大阪府守口市
最終学歴大阪ビジネスカレッジ専門学校卒業
議員後の職歴2003年守口市議会議員 当選
2007年大阪府議会議員 当選
2020年大阪拉致議連 会長

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選挙区:7区(吹田市、摂津市)

Q1

政治活動の中で印象深いエピソードは?

先日、サイパンで行なった遺骨収集です。アメリカの文献では、日本人の遺骨が埋蔵されたという記述があるのですが、実際に見つかっているのはその半分程度なんですね。視察中も子どもと思われる骨が見つかったり、日本軍のマークがついた手りゅう弾が100発程、放置されていたり。これを現地の子どもたちが遊びに使っているという話もありました。爆発すればもちろん事故になりますし、放置しておくわけにはならない。となると収集活動はとても重要です。政治家を引退しても、この活動には引き続き参加したいと思っています。

Q2

今の日本の抱える課題とは?

統治機構改革です。わかりやすく言うと「議会や行政機関の組織構造や運営ルールを改革する」という意味になります。例えるならWindows95に新しいOSを入れても働かないのと同じで、まずは“箱”の作り替えをする必要があるということ。それが今の政界における最大の課題ではないかと思います。ですが実際のところ、維新の会の内部でさえもまだまだ議論が追いついていません。これまで様々な課題に向き合って古い体質をひっくり返してきた維新の会ですので、引き続き「変えるところは変える」精神を持ち続けていたいと思います。

Q3

維新の会の存在意義とは?

一番は企業団体と忖度なく改革を進めていくことのできる政党であることですね。自民党ではこれ以上の改革は難しいんです。実際に安倍晋三元総理がご存命の頃に「維新の会が大阪で実現してきた改革を我々にぶつけてほしい、それで少しでも改革を前に進めていこう」ということもおっしゃっていました。理想的なのは、自民・公明の過半数がないところへ、維新の会が過半数をとりにいく。そうすれば是々非々で私たちの法案を通していくことが叶うんです。その目標を胸に、これからも国民の皆さんの為に尽力していきたいと思います。

Profile

氏名奥下 たけみつ
生年1975年
出身地大阪府茨木市
最終学歴専修大学卒業
議員後の職歴2021年 第49回衆議院銀総選挙に当選
2021年 一般社団法人ドナーレ代表理事就任

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選挙区:8区(豊中市、池田市)

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Q1

政治家としての信条は?

国民の皆さんと向き合って直接話をし、ご意見に耳を傾けていくことです。私の地域では、どなたでも参加できる報告会を月3回以上行なっておりまして。1回につき1時間半ほどかけるのですが、私が報告する時間はそのうちの30分程度。残りの1時間は、皆さんとの意見交換に割り当てています。つまりメインは「皆さんのお声を聴く」こと。それに対してきちんとお答えすることを重要視しています。場所も安価で借りられる公民館等を利用し、できるだけお金をかけずに有権者と向き合える政治のスタイルを確立させています。2024年10月現在、報告会開催236回。今後も継続して参ります。

Q2

政治活動の中で印象深いエピソードは?

大阪・関西万博の誘致の段階から「空飛ぶ車」を頑張っていこうと大阪府に啓蒙できたことです。実際に誘致が決まってからも「空飛ぶ車」の商用化に向けたルール整備について、国会でたくさんの質問をさせていただく等、実用化に向けて後押しさせていただけたと自負しております。あとは、役所と政治家、あるいは役所と外部機関でどういうやりとりをしているか?を公文書で記録し保存していくという提案にも尽力させていただきました。ゆくゆくはこの公文書をインターネットで公開していくことも検討中です。

Q3

維新の会の存在意義とは?

公平で透明な行政・政治の仕組みを作っていくことが今の日本の最大の課題だと思っています。それには、まずは政治家から変わっていかなければなりません。維新の会ではもう既に、身を切る改革や企業団体献金を受け取らないということを実行しております。業界団体ではなく国民の皆さんお一人おひとりに向けた政治を行なうことで、大阪は変わってきていると思います。それを全国に広げていくのが維新の会に与えられた役割であり、存在意義であると確信しています。

Profile

氏名うるま 譲司
生年1974年
出身地大阪府門真市
最終学歴慶応義塾大学商学部卒業
議員後の職歴2011年 大阪府議会議員当選 3期
2022年 党 政務調査会副会長
2023年 予算委員会理事

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選挙区:9区(茨木市、箕面市、豊能郡)

Q1

政治家を志したきっかけは?

「大物政治家の影響を受けました」のような、分かりやすいきっかけではないんです。あるとき、地元の町に駅前が何十年も変わっていないということに気づいたんですね。そして、とてもいい町なのに市民病院もないし市バスもない。何故なのか?と考えてみたとき、市役所が動いていないんだということに思い当たったんです。今の世の中は、人任せにしている部分が多い。なのに文句ばかり言ってしまう。それじゃあ生産的じゃあないですよね。であれば、自ら政界に入って直接「おかしいものはおかしい。正せるものは正そう」と思い立ったのが始まりです。

Q2

政治活動の中で印象深いエピソードは?

期日前投票場を、市民の皆さんが集まりやすい商業施設で行なえないだろうか?という提案をさせていただいた時のことです。昔は市役所や市役所の分館でしか行なっていなかったんですね。投票に行かない人に来てもらおうとするなら、何か行きたくなる施策を考えなければならない。実現できれば市民サービスの向上にも繋がります。そして投票できる場所が身近になることで、皆さんの政治や選挙に関する興味が高まることも期待できます。実現したときはそんな思いが報われた気がして大変嬉しかったですね。

Q3

今後の意気込みを。

今の社会保障の仕組みは、問題を先送りしているように感じています。そうではなく、今の有権者たちが課題をしっかりと受け止めていくことが必要だと考えています。国政で取り組んでいきたいのは、現役世代が過度に負担している社会保障の見直し、そして税金・税制の在り方のバランスを整えること。例えば、労働所得と資産、それぞれに応じた課税が必要だと感じているので、実現に向けて尽力していきたいと思います。会計士・税理士として積み上げた経験を生かし、国民の皆さんのお役に立たせていただけることを切に願っております。

Profile

氏名はぎ原けい
生年1977年
出身地大阪府茨木市
最終学歴信州大学経済学部卒業
議員後の職歴2017年茨木市議会議員選挙に当選

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選挙区:10区(高槻市、三島郡)

Q1

政治家を志したきっかけは?

もともと私は税理士をしておりまして、企業の経営者の方とお話する機会が多くありました。ちょうど維新の会が発足する直前のことなのですが、大阪の景気は非常に悪くて、皆さん従業員の給料を払うことにさえ四苦八苦しているような状況でした。そんな中で、やはり行政や政治が財政の“底支え”をしていくことが非常に大事だと感じたのが、政治家になろうと思ったきっかけです。私の信条は「政治はロマンと我慢」。理想を描き続けることと、それに対する批判に負けずに挑むこと。この2つを胸に政治活動に邁進してまいります。

Q2

政治活動の中で印象深いエピソードは?

2011年6月4日の『議員定数削減の変』といわれている改革ですね。YouTubeで検索いただいたらおわかりになるかと思いますが、あの現場にいたんですよ。日付が変わる直前という深夜の時間帯に、他党が断固反対として掲げていたバリケードを突破して府議会に乗り込み、この法案を可決させたんです。109あった議席数を88まで減らす改革は、国内史上初の条例案でした。非常に印象深い出来事なので、今でもあのときの情熱と喜びは忘れることができません。

Q3

今後の意気込みを。

私は生まれも育ちも高槻市で「育てていただいた恩返し」のつもりで議員を務めさせていただいております。国政の場においても、国と府・市を連携させながら、地元の活性化を行っていきたいという思いは、今も昔も変わらないですね。私は約80の項目をのせた「個人マニフェスト」を作っておりまして、実現したいこと、やっていくべきことを記載しています。この項目すべてが実現できるまで、これからも果敢に挑み続ける所存です。

Profile

氏名池下 卓
生年1975年
出身地大阪府高槻市
最終学歴龍谷大学大学院修了
議員後の職歴2021年 第49回衆議院議員総選挙 当選

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選挙区:11区(枚方市、交野市)

Q1

政治家としての信条は?

できるだけ多くの人々のための最大の幸福を実現したい。同時に少数派の意見も最大限に尊重することも大事にしたいというのが、私がいつも掲げている信条です。市長時代には、当時としては先駆けであったマニフェストを導入しました。実際に達成できたかどうかの評価やご意見を市民の皆さまからいただき、それを踏まえて次のマニフェストに盛り込んでいくというマニフェストサイクルを確立させ、より皆さまの目線に立った政治活動を行なうことができました。今もこのときの経験は、信条の原点として心に残しています。

Q2

政治活動の中で印象深い経験は?

救命救急センターを、地元の枚方市に誘致できたことです。当時は、遠く離れた他市の救命救急センターまで行かなければならず、私の知人が救急車で搬送中に、大切な命を失ってしまったということがあり、何とか地域に救命救急センターを誘致できないかというのは、私の悲願でありました。そんなときたまたま関西医科大学と付属病院が枚方市に移転先を求めているという話があり、ぜひとも市内に誘致してそこに救命センターを整備できないか?と提案・交渉いたしました。2年ほどかかりましたが、無事に調整が進み、建設に入ることができたときは、とても嬉しかったですね。

Q3

今後の意気込みを。

国会の古い体質を象徴するひとつとして挙げられるのが「審議拒否」ですね。古い体質の野党は、何かあれば審議をストップして必要な議論を邪魔したり、交換に何かを引き出そうとするケースがあります。それに対し、私たち維新の会では「まずは審議をしよう」「徹底的に議論しよう」という姿勢で臨んでいきます。国会議員として仕事をしているのですから、堂々と国民の皆さんのほうを見て議論していくのは当たり前のことです。そういった私たちの姿勢に賛同いただけるように、これからも頑張っていきたいと思っています。

Profile

氏名中司 宏
生年1956年
出身地大阪府枚方市
最終学歴早稲田大学第一文学部卒業
議員後の職歴1987年 大阪府議会議員
1995年枚方市長
2021年衆議院議員選挙 当選

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選挙区:12区(寝屋川市、大東市、四條畷市)

Q1

政治家を志したきっかけは?

きっかけは父親の影響ですね。自営業だった父は、私が子どもの頃から「自分の為にではなく社会の為に働きなさい」という言葉を与え続けてくれました。そんな環境の中で、漠然と将来は社会のリーダーのような存在になりたいと思い描くようになり、大学卒業後20代で介護・福祉事業会社を設立するに至りました。いざ現場に出てみますと、行政の非効率さを目の当たりにする場面が多く、「政治で現場を変えていかなければならないのでは?」と思うようになりました。そんなときに維新の会に出会い、政界に踏み出す決意をいたしました。

Q2

政治活動の中で印象深い経験は?

2017年に衆議院選挙に初めて出馬し、落選してしまったときのことです。私はもう1度チャレンジしたいという思いがあったのですが、周りはそれをどう思うのだろう?と考えると自信がありませんでした。ですがそのとき、支援者、議員仲間、事務局のスタッフ。誰一人として離れずに、「もう1回やりましょう!」と言ってくれたんですね。皆さんの温かい励ましの言葉が嬉しくて、「今度こそ勝たなくては」という気持ちになれました。そのとき抱いた感謝の気持ちは、今もずっと私の政治活動における原動力となっています。

Q3

今後の意気込みを。

私が特に重要視しているのが社会保障です。例えば、医療について。現役世代が過度な負担を強いられていて、改革の必要があるにも関わらず、それを阻む者たちがいます。また、コロナ禍でわかったことなのですが、この国では危機に見舞われたときに、即座に手を差し伸べる機能がありません。このような日本の現状をゼロベースで立て直す必要があると思っています。古い体質を変えることができるのは、維新の会だけ。今の社会に蔓延している将来不安という心理を一変させ、気持ちが前向きになる社会を目指す。維新の会なら必ずそれを実現してみせます。期待していてください。

Profile

氏名藤田 文武
生年1980年
出身地大阪府寝屋川市
最終学歴筑波大学体育専門学群 卒業
議員後の職歴2019年衆議院議員補欠選挙にて初当選

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選挙区:13区( 東大阪市)

Q1

政治家を志したきっかけは?

大阪都構想を実現させたいという思いから政治の世界に入ってきたのですが、否決と共に一度は政治家を引退しました。その後、40歳のときに子どもを授かりまして、それをきっかけに、20年後30年後、この子たちが大人になったとき、日本はこのままでいいのか?と考えるようになりました。極端なことを言うとこの子たちは、中国やインドに出稼ぎにいくような時代になっているんじゃないか、とか。そんな自問自答を繰り返す中で、やはり子どもたちが安心して暮らせる日本に再生しなければならないと思い、再び政界に戻ってまいりました。

Q2

政治活動の中で印象深い経験は?

「もう一度大阪で万博をしよう」と最初に提唱し始めたのは、実は私なんです。ちょうど、オリンピック開催地が東京に決まったときのこと。「何故また東京なんだろう? 2度目なのに」と思ったときに、ふと「万博も大阪で2度目を開催すればいいじゃないか!」と思いついたんです。最初の1年くらいは誰も相手にしてくれなくて、笑われていましたよ(笑)。ですがその後、仲間の皆さんへ引き継がれ正式に誘致が決定したときのことは、とても嬉しい経験として心に残っています。

Q3

今後の意気込みを。

一つ目は、政治改革を実現させるということ。政治が腐っていると日本は絶対に良くはなりませんから。二つ目は、新しい政治のもとで経済成長を目指すということです。具体例を申しますと、まずは減税、それから社会保険料の減額。そうすることで国民の皆さんの手取り収入を増やし、個人消費を伸ばせば、経済を成長させていくということに繋がります。維新の会は「改革政党」です。私たちがキーとなることによって、日本の政治を「改革の政治」に変えていくこと。それが私たちのミッションだと思っています。

Profile

氏名岩谷 良平
生年1980年
出身地大阪府
最終学歴早稲田大学法学部卒業
京都産業大学法科大学院修了・法務博士
議員後の職歴大阪府議会議員、米国カフェチェーン日本本部社長等を経て、
2021年 衆議院総選挙にて、初当選2017年衆議院総選挙にて、初当選

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選挙区:14区(八尾市、柏原市、羽曳野市、藤井寺市)

Q1

政治家を志したきっかけは?

以前、国連やJICAの職員として、アフガンやスーダンなどの紛争地で働いていました。自分自身も銃撃戦や自爆テロに巻き込まれ、目の前で大勢の人達が、命を落としていく様を目のあたりにしました。貧困や復讐の連鎖によって起きている戦争をこの世からなくすことができるのは、大国の政治家だけだという答えに辿り着きました。にも拘わらず、日本の政治家はそうした意識も、それをする能力もなく、ただ大臣や議員の身分に興じているだけ。この人たちの意識を変えて動かそうと努力しましたが、それよりも自分が政治家になってやった方が早いと考えました。

Q2

政治活動の中で印象深いエピソードは?

裏金問題の実態解明、責任者の処分、再発防止と政治不信を払拭する為の法改正を行うため、政治倫理審査会と政治改革特別委員会の委員として議論をリードしました。そこで自民党は権力維持が目的化してしまっており、根本的な機能不全に陥っていることを実感しました。これは総理が誰になっても変わることはなく、自民党政権のままであれば持続可能な地域や日本を創ることはできないとの確信に至りました。維新はそれらに抗い、表舞台での勝負で変化を起こしていくことが使命だと、改めて実感しました。

Q3

今後の意気込みを。

内政も外交も問題の全ては政治とカネに象徴される既得権政治が根本にあると考えています。権力を掌握して、金を集めて、それを見えなくして。そんなことを続けているから今必要な改革が実行できず、大事なところに予算がつけられないわけです。それは誰もがわかっているのに、しがらみに囚われて変わることができない。維新の会は企業団体から一切お金を受け取らず、政治の支出の全てに領収書をつけて公開することを決めました。徹底的にしがらみをなくした維新の会という政党にしかできない改革があります。それを国会全体のルールにし、政界からしがらみを追い出すこと。それが日本や大阪を成長させ、ひいては外交も変える根本的な仕組みの変化になると考えています。

Profile

氏名あおやぎ 仁士
生年1978年
出身地埼玉県所沢市
最終学歴米・デューク大学国際開発 政策修士卒
議員後の職歴2021年 衆議院総選挙 当選

ENTRY15

選挙区:15区(堺市美原区、富田林市、河内長野市、松原市、大阪狭山市、南河内郡)

Q1

政治家としての信条は?

政治家になる前は、もともと保育士だったんです。子ども達に囲まれて、抱っこをせがまれて。そんな毎日を過ごしていたものですから、政治家になった今も、子どもに関わる課題に目がいきます。児童相談所虐待対応ダイヤル「189」が法制化されるきっかけとなる最初の質問を国会に投げかけたのも、私です。子どもたちが大きくなったとき「大人は何をしていたんだ?」と思われないような、そんな社会を作っていきたい。それが私の大事にしている信条です。

Q2

今の日本、大阪が抱える課題とは?

東京一極集中は、今の日本が掲げる大きな課題です。それに立ち向かうには、大阪はじめ地方をもっと魅力的にしなければならない、ということでもあるんですね。具体的なところで斬りこむと、「市町村の最適化」が挙げられると思います。例えば、3つの市町村が合併すると、3人いた市町村長が1人になり議員数の削減が実現します。もし何千万円もの予算に四苦八苦している市町村なら、合併するだけでそれが埋まり、大きなメリットになりますよね。こうした議論をもっとやっていかなければならない時期が来ていると思いますよ。

Q3

維新の会の存在意義とは?

大阪で行なってきた改革を全国に広げていくことでしょうか。今の日本、本気で大丈夫だなんて皆さん思っていないでしょう。であれば改革するしかない。それができるのは、私たち維新の会だけなんですよ。今のままでいいのか、それとも違う選択肢をとるのか。その違うほうの選択肢の中に、維新の会がありますよ、ということを全国民の皆さまに示していきたい。これは、声を大にして言いたいことのひとつですね。

Profile

氏名うらの 靖人
生年1973年
出身地大阪府松原市
最終学歴聖和大学(現関西学院大学)教育学部卒業
議員後の職歴2012年回衆議院議員総選挙 当選

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選挙区:16区(堺市堺区、堺市東区、堺市北区)

Q1

政治家を志したきっかけは?

2010年に「大阪維新の会」が結成されました。当時の私は、政治に対して漠然と不安を抱えていたり、日本ってこのままでいいのかなと、不満をつのらせていたりした時代でしたので。大阪から、こんなにも「日本を変えていこう!」というエネルギーのある集団ができたことにすごくワクワクしたんです。何か自分にもお役に立てることがあればぜひ参加したいという強い思いが湧いて、門を叩きました。

Q2

政治活動の中で印象深いエピソードは?

あるとき、子ども達が毎日歩く通学路でものすごく危険な道があることを知ったんです。実際に見に行ってみると、バスやトラックも通る道なのに歩道がない。だけど新たに歩道を確保するのは難しい。そこで周囲を歩き回ってみると空地を見つけまして、ここを通学路しよう!と思いつきました。それからは建設局はじめ土地の所有者、開発業者に交渉・交渉です。最初はあっさりと断られました。でも諦めませんでした。諦めたら終わり、という粘りが功を奏して、結果住民の皆さまに喜んでいただける通学路が完成したときは、本当に嬉しかったです。

Q3

維新の会の存在意義とは?

このゆるんだ状況の中で風穴をあけていくというのが、維新の会に与えられた役割ではないかと認識しています。日本の抱える課題がこれだけ多くある中で、私たちは国民に寄り添い、次の世代に向けてさらに、「納税に納得する政治」を行なっていく。将来世代の為に不可能だといわれていた政治に果敢に挑戦していく。もちろん、改革すれば改革される側からは批判もされます。そこは恐れずに改革の旗を立て続ける。それができるのは、維新の会だけ。最大の強みであると思っています。

Profile

氏名黒田 まさき
生年1979年
出身地大阪府堺市
最終学歴堺市立登美丘中学校卒
議員後の職歴2011年 堺市議会議員選挙 初当選

ENTRY17

選挙区:17区(堺市中区、堺市西区、堺市南区)

Q1

政治家としての信条は?

政治家というのは、哲学家であり、宗教家であり、教育者でもあるべきだと私は考えております。哲学家というのは、政治をやっていく中で何の為に誰の為に何故そういうことをするのか?という信条を持つということ。宗教家は、なぜ人間はこの世に生まれて生きていくのか?を悩んで、姿勢を正していくということ。教育者というのは、国民の皆さんにあるべき姿をご提示して、ご意見を伺いながら方向性を指し示すということ。この3つの信条をいつも胸に掲げ、政治活動に取り組んでまいりたいと思っています。

Q2

政治活動の中で印象深いエピソードは?

私が最初に公約として掲げたのは、大阪府堺市にあるJR鳳駅前を新しく生まれ変わらせるということでした。当時、この場所はひなびていて惨憺たる場所で「できないことは言うな」等の批判も多数いただきました。でも私は天邪鬼なものですから(笑)、そうであれば、なぜできなかったのか?どうすればできるのか?を徹底的に研究調査しようと奮い立ったんです。結果、20年かけて鳳駅前は生まれ変わりました。その成功体験は、私の中で非常に印象深い出来事のひとつとして心に残しています。

Q3

今後の意気込みを。

今の日本を、「家」に例えてみると、もう基礎からボロボロという状態です。自民党の政策では、それをビニールシートで覆って隠し、つっかえ棒で支えようとしているようなもの。そこには、安心もなく安全でもなく、何より夢や希望がうまれるはずもない。ですが私たちの改革は、基礎からやり直そうとするもの。その証明として、維新の会では大阪を変えてきたという実績があります。今後も税金の制度、介護、子育て、社会保障、労働市場などあらゆる課題に果敢に挑み続け、大阪だけでなく全国の皆さんに夢や希望を提供する存在であり続けたいと思っています。

Profile

氏名馬場 伸幸
生年1965年
出身地大阪府堺市
最終学歴大阪府鳳高校卒業
議員後の職歴2012年12月第46回衆議院議員選挙にて初当選

ENTRY18

選挙区:18区(岸和田市、泉大津市、和泉市、高石市、泉北郡)

Q1

政治家を志したきっかけは?

議員になる前、青年会議所でJC活動をしていた時代がありました。地域と交流するさまざまな活動を行なう中で、「行政と地域の間には距離があるな」「自分たちの発信力が弱いな」ということを感じていました。そして、民間で行なうことには限界があることを知ったとき、自ら政治家を目指してみようか、と思うに至ったんですね。当初から一貫してメインで行なっているのは、教育問題です。「国家百年の計は教育にあり」という言葉のとおり、長期的な目線で人を育てることの大切さを国民の皆さんに知らせたいというのが私の信条です。

Q2

政治活動の中で印象深いエピソードは?

2日間に及ぶ「夜なべ国会」を回避できたことですね。自民党も立憲民主党もやらざるを得ないと腹をくくっていたようなんですが、本音はやりたいはずがない。立憲さんから相談を受け、「私が交渉しよう」と立ち上がりました。すると2日かかるはずの国会が1時間以内で本当に終わったんですよ。2日間連続で国会を行なうということは数億円の運営費がかかります。それだけでも「身を切る改革」を掲げている維新の会の理念とは程遠いですよね。無駄なことをしなくていい国会改革。それが実現したのは、気持ちのいい思い出ですね。

Q3

維新の会の存在意義とは?

与野党間で「賛成」か「反対」かの二極だけで政治を行なうというのは良くなかったと私は感じております。そんな論争を打ち破り、第三極としてのポジションを見出したのが、維新の会なんですね。それこそが維新の会における真骨頂だと思っています。存在意義というのは、その時々で変わります。いつも身動きのとれるスピーディな感覚、研ぎ澄まされた立ち位置を持ち続けるというのは、国民の皆さんが一番求めていることではないでしょうか。言い続けること・やり続けること・視点をぶれさせないことを軸に、維新の会はこれから改革を前に進めてまいります。

Profile

氏名遠藤 たかし
生年1968年
出身地大阪府高石市
最終学歴大阪産業大学附属高校卒業
議員後の職歴衆議院における役職/議院運営委員会理事
各種委員/国土交通審議会委員検察官適格委員会委員
党内役職/国会対策委員長

ENTRY19

選挙区:19区(貝塚市、泉佐野市、泉南市、阪南市、泉南郡)

Q1

政治家を志したきっかけは?

維新の会の創業者が行なった「教育の無償化」に影響を受けたのが大きなきっかけです。もともと私は医者でして、医学部には6年かけて奨学金を受給して入学しました。コツコツと返済し続けて、今年(2024年)60歳になるんですけど、やっと全額返し終えるんですよ。それでも奨学金を受けられただけまだ幸せです。世の中には奨学金も受けられなかったり、受けても返済できない人が大勢います。そんな現状を見たとき、自ら政治家になって教育の無償化政策に、全面的に関わっていきたいと思いました。

Q2

政治活動の中で印象深いエピソードは?

高校時代ラグビー部に所属していた頃。メンバーの間で小さなイジメがありました。それを解決する為に皆でよく話し合ったものです。そんな経験を活かして、議員1年目のとき、「どんな小さなイジメでも見つけたら報告しよう」、そして報告を受けた側は、ネガティブに受け止めるのではなく「報告されたという意味でポジティブに受け止めよう」というルールを提案しました。イジメを見て見ないフリをするのは絶対に良くないというのは、今でも強く感じていて、引き続きこのルールを確立させ、浸透させていきたいと思っています。

Q3

これからの政治活動で成し遂げたいことは?

縦割り組織を打破することですね。医者の目線でいいますと、日本は再生医療に焦点をみいだし、2006年にIPS細胞ができ、2012年にはノーベル賞もとりましたが、いまだ実現化されていない。何故かといえば、医療をやっているのは厚労省、研究をやっているのは文科省、製品化するのが経済環境省、予算管理を握っているのが財務省…というふうに縦割り組織が横行していることが原因として挙げられます。そうではなく、ワンストップの組織を作る。今よりスムーズに物事を進められるような、政治の構造改革が必要だと感じています。

Profile

氏名いとう 信久
生年1964年
出身地兵庫県神戸市
最終学歴大阪市立大学大学院医学研究科修了
議員後の職歴2012年 衆議院総選挙にて、初当選